長いお別れ
2021年10月26日。
グラフィックデザイナーの仲條正義さんが逝去された。
伝説の企業文化誌「花椿」をはじめとする資生堂の各種デザイン、さらには東京都現代美術館ロゴ、銀座松屋「MG」などなど街を彩る数々のアイコンを形にしてきた氏は、東京芸大の学生だった時代から足しげく通われるご常連。
そのご縁のおかげで、シンスケ店内のさまざまなデザイン、湯島天神町二丁目町会の祭半纏、はては当代の伴侶紹介&仲人までディレクションしていただきました。まさしく公私にわたる恩人です。
とくに思い出深いのは、一階席に今も残る【一枚板のカウンター】探し。
「酒場のカウンターはさ、コの字じゃなくて、すかっとまっすぐ一枚板が気持ちいい。これだけは諦めちゃダメだ。絶対になんとかして探そう!」
そして、父と一緒に「そんな長さの一枚板なんて見つかりませんよ」と泣きを入れる大工にカツを入れ、木場中の倉庫を洗いざらい捜索。
神社の鳥居用に眠っていた台湾ヒノキを探り当てて、1940年代当時の新装開店にギリギリ間に合わせた・・・というウルトラCのエピソードです。
ナカジョーさん、あなたがそうやって設えた空間では、たくさんの人々があなたの手掛けた徳利を掌で包み、数えきれない杯に酒を注いできました。
これまでも、これから先もずっと。
江戸東京の手酌文化を未来へつないでいきます。
ありったけの感謝を込めて。
「さようなら、まーちゃん。いつかそちらで」
R.I.P.
以下は2014年5月27日に「祭半纏」について書いた個人SNSの記事です。
ナカジョーさんのオフィシャル外の仕事ですが、彼の美学が明白なので、この機会にお披露目させてください。
☆コール・ドュ・ミコシ
我が町会【湯島天神町二丁目】の祭半纏は、三十数年前デザイナーの仲條正義さんに手掛けていただいたものだ。
まるで戦闘機の海上迷彩(スプリッター塗装)のような藍と白のモザイクは、時代を超えて今なお清々しい。だが、この半纏の真骨頂は、着た担ぎ手全員が神輿に取り付いた時。
前からはもちろん、横に背後に360度、近目遠目から眺めても必ず【斜に2本の白線】=二丁目であるサインが一目瞭然となっている。いわば「個人」ではなく「群体」として際立つための衣装デザイン。
そして興味深いのは、最初から経年の色合いが前提ということ。藍染めはふつう、染めたての濃紺色と匂いが粋とされるが、自分が三年前に復活させた新品より、藍が抜け切った年季物のほうが明らかに馴染んでいる。
いまや町内の個人宅は減少し続け、もはや他町の担ぎ手にご協力いただかないと神輿を出すこともままならない。でも、いつかは昔のように100%町内半纏で神輿を担いでみたい。